大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(ネ)239号 判決

控訴人 国

右代表者法務大臣 秦野章

右指定代理人 瀬戸正義

〈ほか八名〉

右訴訟代理人弁護士 神原夏樹

被控訴人 下兼尚之

右訴訟代理人弁護士 清水恵一郎

須黒延佳

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、援用及び認否は、被控訴代理人において、甲第一三号証の一ないし四の各一、二及び第一四号証の一ないし三を提出し、当審証人曽山正道の証言を援用し、乙号各証の成立は不知と述べ、控訴代理人において、乙第二八号証の一ないし五、第二九号証の一ないし六及び第三〇号証を提出し、当審における証人関根計孔の証言及び検証の結果を援用し、甲号各証の成立は不知と述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

被控訴人は、麹町郵便局に勤務する郵政事務官であるところ、昭和五二年四月七日に同郵便局庁舎に原判決添付別紙図案のとおり印刷されたステッカー(以下「ステッカー」という。)を貼付したものであるとして、同郵便局長鎌田達郎が同年八月一〇日に被控訴人に対して訓告処分をしたことは当事者間に争いがなく、原審における被告関根計孔の本人供述、当審証人関根計孔の証言によると、右日時・場所において被控訴人がステッカー一枚を貼付したことが認められる。

右認定に反し、原審証人大西博、同花山康美、当審証人曽山正道は、右のステッカー貼付行為者は訴外花山康美であって、被控訴人ではない旨の証言をし、原審における被控訴人の本人供述もこれに同調するので、右の各証言及び本人供述の信憑性について検討するのに、成立に争いのない乙第一五号証、原審における被告関根計孔の本人供述により真正に成立したと認める乙第一四号証、原審証人米田宏の証言、右本人供述、当審における証人関根計孔の証言及び検証の結果を綜合すると、全逓信労働組合による昭和五二年春闘は、麹町郵便局においては、同年三月下旬以降全逓信労働組合の称する業務規制闘争(実態は怠業行為に他ならない。)の名の下に、同労働組合員たる職員による怠業の瀰漫と相俟って庁舎の内外ところかまわずステッカーの貼り付けが横行して職場秩序が著しく乱れていたので、局長以下の管理職員は、右怠業によって滞留した郵便物の排送業務の遂行、ステッカー剥がしに努めるとともに、ステッカー貼付行為の取締りを強化して庁舎内外の巡回を密にし、ステッカー貼付行為者の摘発態勢を整えていたこと、同郵便局集配課課長代理関根計孔は、同年四月七日に滞留郵便物の排送を終えて同郵便局に戻るため、同日午後六時三〇分ころ、後部荷台に空になった郵便物用の箱を積んだ自転車に乗って通常の速度で原判決添付別紙麹町郵便局職員通用口付近見取図表示Cの道路(以下「C道路」という。同様に図示に従い、道路名を称することとする。)を進行し、右見取図表示の麹町郵便局庁舎ポーチ(以下「ポーチ」という。)の手前約三五メートルの右見取図表示①の地点(以下「①地点」という。同様に図示に従い、地点名を称することとする。)に達した時点で、ボーチ内に二人の男がいることに気付き、その内の一人は玄関扉の壁面に向かって立っていて(関根からみると横向きの姿勢)、それが大西博であり、他の一人は監視員受付窓に向かって立っていて(関根からみると後姿勢)、それが被控訴人であることを視認し、続いて①地点から②地点に進行する間に、受付窓に向かっている被控訴人が右手を高く上げて右手に持っている何かを窓ガラスに貼り付け、大西が玄関扉の壁面に向かって右手を顔の高さくらいまで上げて、何かを貼り付ける動作をしているところを目撃し、次いで②地点に達した時点で、玄関扉の壁面制札(アクリル板で、「当局職員以外の者は許可なく入局を禁止します 麹町郵便局長」としるされている。)の中央辺に既にステッカー一枚が貼られてあるのを見出し、それから②地点から③地点に進行する間に、大西が更に右制札の下方部にステッカー一枚を貼り付けているところを目撃し、更に進行してB道路を横切って自転車に乗ったままポーチ内③地点に達し(①地点から③地点に至る関根の所要時間は約一一秒)、自転車を降り立った時点で、被控訴人が大西のやや斜め後方に立って同人が右制札に貼られたステッカー二枚を指の背の部分でなでこすっているところを見ているうち、一瞬後方を振り向いたとたん、鼻の先約一メートルのところから被控訴人を見据える関根と顔を合わせるや、慌てて大西に「おい、来たぞ、来たぞ。」と声をかけたので、これに乗じてすかさず、その背後から「大西君何をしているんだ。」「ビラ張りはやめなさい。」「大西君、下兼君のビラ張り行為を現認したぞ。」「ビラをすぐはがしなさい。」と畳み掛けるように言い付けたこと、その際関根、大西及び被控訴人は互いに約一メートル隔てて三者鼎立する位置にあり、関根を頂点とし、関根からみて、左に大西、右に被控訴人が立ち、関根が大西と被控訴人のほぼ中間を向いていたのに対し、被控訴人がその正面に大西を見、したがって関根の方へはやや横向きになっていたが、それでも関根からは被控訴人の両目、両耳共見えるような横向きであったところ、被控訴人及び大西の両名はその上司である集配課長代理関根によって禁制のビラ張り行為を現認されたばつの悪さ、照れ隠しにただにやにやするだけで、関根の語気鋭い右言付けに返す言葉もなくその場を引き下がり、ポーチからB道路に降り、右の方靖国通りへ立ち去ったこと、被控訴人がポーチの受付窓ガラスに貼り付けたステッカー一枚は、大西がポーチの制札に貼り付けたステッカー二枚とともに、いずれも縦約一五センチメートル、横約一〇センチメートル、葉書大で原判決添付別紙ステッカー図案のものであることが認められ、右認定事実によれば、関根は、①地点から約三五メートル先のポーチの受付窓に向かって立っている者の後姿を見てそれが被控訴人であることを視認し、右視認以来被控訴人に対する注視を継続しつつ接近して②地点に至るまでの間に、被控訴人による受付窓ガラスへのステッカー貼付行為をその後姿から現認し、次いで約一メートルの至近距離で前示三者鼎立で相対した際、受付窓ガラスへの右貼付行為を終えた直後の行為者と面を合わせ、その行為者が、右にそれぞれ視認し、現認したとおり、被控訴人であることを再確認したものであることが明らかである。しかも関根の前掲本人供述及び証言によると、関根は、昭和五〇年三月七日以来麹町郵便局集配課課長代理として、同集配課に配置されている被控訴人、大西博、花山康美ら約七〇人の部下職員と普段接触していることにより、その部下職員の顔の造作、体型等の身体的特徴を熟知し、またその職掌柄部下職員が集配業務に従事し、区分棚に向かって作業している後姿を見て職員の同一性を判別することに慣れていることから、被控訴人と花山康美についてもその身体的特徴を把握していて、両者の識別に彼此混同をきたすおそれがない程であることがうかがわれるから、本件ステッカー貼付行為者の判別に当たって、関根が花山康美を被控訴人と誤認した旨の前掲証言及び本人供述は、たやすく措信し難い。

被控訴人は、当時C道路上①地点からポーチ内を見るには暗くて見えにくい状況にあった旨を主張するけれども、当日の日没時刻が午後六時七分で、天候が午後六時まで雨のち曇、同時刻以後曇であったこと、ポーチ付近に見取図記載のとおり二本の街灯が点灯されていたこと、及びポーチの天井に埋込式の照明があることは当事者間に争いがなく、当審における検証の結果によれば、ポーチには天井に埋込式白熱電灯八個があることが認められ、関根計孔の前掲本人供述及び証言によると、当時右電灯が点灯されていて、ポーチの外の薄暗い状況に比べ、ポーチの中は至って明るかったこと、及びC道路①地点とポーチとの間は見透しのきく状況であったことが認められるから、本件ステッカー貼付行為当時日没を約二五分過ぎて、しかも曇天の下宵闇が迫る時刻であったにもかかわらず、被控訴人の同一性の識別についての前判示の関根による視認、現認及び再確認は、その知覚判断の正鵠を期するに足りる十分の照明がある状況下においてなされたものというべきである。被控訴人の右主張は到底首肯し難い。

被控訴人は、いわゆるアリバイとして、被控訴人が当日午後四時少し前に麹町郵便局を出て午後五時ころ目黒区自由ヶ丘のアパートに帰宅し、以後は夕食に外出しただけで、アパート自室に独りで休んでいた旨を主張し、原審における被控訴人の本人供述においても、そのように述べているが、しかし、同郵便局において当時全逓信労働組合の組合員によるステッカー貼付行為の横行に対処するのに、局長以下の管理職員は庁舎内外の巡回を密にして、ステッカー貼付行為の取締りに努めていたことは前判示のとおりであるところ、当審証人関根計孔の証言により真正に成立したと認める乙第三〇号証、原審証人米田宏の証言によると、麹町郵便局庶務会計課主事で労務担当者である和光信義は、米田庶務会計課長の指示に従い、当日午後五時三〇分ころから庁舎の内外を巡回していた際、午後六時ころ庁舎四階食堂において被控訴人、大西博及び花山康美がテレビの傍の椅子に座っているところを目撃し、直ちに右状況を巡回結果報告として、米田課長に口頭で告げたことが認められるから、被控訴人の右本人供述は措信し難く、ほかに証拠もないから、右のアリバイ主張は採用することができない。

原審証人大西博、同花山康美、同坪井利明、当審証人曽山正道の各証言並びに原審における被控訴人の本人供述中叙上の認定事実に抵触する部分はいずれも措信し難く、ほかに、被控訴人による本件ステッカー貼付行為についての前認定を覆すに足りる証拠はさらにない。

もっとも、被控訴人の当時の頭髪型について、当審証人関根計孔は、いわゆるスポーツ刈り、大工刈りなどと、左右に分けない短髪型であったと証言するけれども、当審証人曽山正道の証言により真正に成立したと認める甲第一四号証の一から三まで及び同証言によると、当時被控訴人の頭髪はいわゆる七三に分けた普通の調髪であることが認められるから、右関根証言は、特段の事情のない限り、記憶違いによるものとみるほかはない。しかし、人間の同一性の識別は、顔の目鼻立ちないし造作から体格に至るまで、視覚に訴える造形の全体を把えて判断するものであることが経験則上明らかであるから、右関根証言にみるように、顔の造作の一部である頭髪型だけを抽出し、これについての記憶違いがあることから、直ちに右の造形全体による判断に係る被控訴人の同一性についての関根の前判示の視認、現認及び再確認が誤っているとは断じ難い。

前判示の被控訴人の本件ステッカー貼付行為は、《証拠省略》によると、郵政省就業規則第一三条第七項所定のビラ等の貼付の禁止に違反する非違行為であって、郵政部内職員訓告規程に基づいて麹町郵便局長が被控訴人を訓告処分に付することができるものであることが認められる。

被控訴人は、本件訓告処分は被控訴人に十分な弁解の機会を与えずにされたものであるから違法であると主張するが、原審証人米田宏の証言により真正に成立したと認める乙第一七号証及び同証言によると、麹町郵便局において人事、労務等を担当する庶務会計課長米田宏は、昭和五二年四月八日午前八時一一分から二〇分までの間、被控訴人を庶務会計課長席に呼んで、被控訴人直属の上司である集配課長下島作太郎立会の下、本件ステッカー貼付行為について被控訴人から事情聴取をした際、被控訴人に対して本件ステッカー貼付行為者たる非違事実を告げて弁明の機会を与えたところ、被控訴人が右非違事実を否認していささか弁明を試みるところがあったので、その弁明事項を文書で明らかにするよう求めたが、これに対し、被控訴人は開き直って「集配課長に呼ばれたから、処分でも出るのかと思って楽しみにして来た。僕は書かないよ。」と言い放つなど、ただはぐらかすばかりで、右事情聴取にまともに応じようとしなかったことが認められるから、右認定事実によれば、本件訓告処分をするに当たって、あらかじめ、担当課長米田宏が被控訴人に対して弁明の機会を与えたにもかかわらず、被控訴人が右非違事実に関し更に弁明することを自ら拒んだものというべきである。被控訴人の右主張は理由がない。

また、被控訴人は、本件訓告処分は被控訴人がその組合員として加入している全逓信労働組合の団結行動を不当に制約し、これに介入する不当労働行為に該るものであるから違法な処分であると主張し、本件ステッカー貼付行為があった昭和五二年四月七日当時全逓信労働組合がいわゆる春闘中であったこと、及び麹町郵便局では従前ビラ、ステッカー等の貼付を理由とする訓告等の処分の例がなかったことは当事者間に争いがないが、本件訓告処分につき相当の処分理由が存することは既に説示したとおりであって、更に本件訓告処分が郵政当局の全逓信労働組合に対する不当労働行為として行われたものであることを認めるに足りる証拠はない。被控訴人の右主張も採用することができない。

以上の理由説示によれば、本件訓告処分は適法かつ有効であるといわなければならない。したがって、被控訴人の本件請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、失当として棄却すべきである。

よって、原判決中被控訴人の請求を認容した部分を不当として取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条及び第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川幹郎 裁判官 梅田晴亮 上野精)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例